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ボーイングvsエアバス

ボーイングvsエアバス -マシュー・リーン(アリアドネ企画)

777開発の時までの話なので、787についての記述がないのでその後は不明だが、少なくとも777のまでの状況では、「日本の(航空)技術が無ければ出来ない」というよりは、本当に資金難だったことや、日本を競争相手としてよりもパートナーとして取り込むことにより、台頭してきたエアバスとの競争を意識しつつ、日本も押さえ込みたかったという思惑があったのかもしれない。

B787では逆に「日本の技術がなければできない」というように、力関係が変わりつつあったのかもしれない。

その他参考になりそうなサイト

ボーイングの凋落と日本の可能性
http://www.tanakanews.com/d1231boeing.htm

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B747の開発はボーイングを倒産寸前まで追い込んだが引渡しが始まっても、市場そのものの縮小などにより、初期は売り上げが伸び悩んだ。(犠牲者はパンナム)

1970年には米国内からの受注が一機もなく、翌年にはアメリカ政府がSSTプロジェクトの中止を決定し、ボーイングが当てにしていた資金と将来の収入源が閉ざされ、大量の余剰人員が発生。(現金欲しさに、737の製造販売権を丸ごと日本に売るというアイディアもあった。当時日本企業は747の翼のフラップを製造していたようですが、話自体が重すぎた)

70年代、もはや旧型となってしまった727などの売り上げも落ち始め、効率の良い新型機の開発に迫られていたボーイングですが上記の流れから、未だに資金難に苦しんでいた。

そこで、757の顧客見込みとして、英国航空があったことに目をつけ、翼をブリティッシュ・エアロスペースが、エンジンをロールスロイスが製造するというオファーを与え、イギリスを巻き込み、開発コストの分散を図ろうとした。(エアバスとの話し合いもあった模様)

結局イギリスはエアバス側に再び傾いていったが、ボーイングは自社が手がけるプロジェクトを100%コントロールし、いわゆる、「農奴」を求めていたことが、イギリス側に不信感を持たせた。その後日本に目を向け、757/767の開発で日本と手を組んだ。

80年代、以前から日本の通産省は、再び世界の航空産業に参入させたいという野心があったが、ボーイングはそれを必死に抑え込んでいた。

当時アメリカの産業では、日本との競争に対する恐れが、大きくなっていた。そこで、日本人を下請けとして逆に取り込むという作戦を立てた。

1984年には、737の後継機である7J7を日本との共同開発するということを合意、発表。日本側は資本参加し、開発から生産まですべての段階において参加することになり、上記のイギリスのケースより大幅譲歩した内容だった。当時エアバスとの競争に専念したかったボーイングは、日本との戦いを避けかったという思惑があった。結局7J7の計画は中止に。

777の時にも、開発・生産のリスク分担先として日本のメーカーに目が向けられた。先の日本脅威論により、政府官僚と議員の強硬な反対にあいました。結局日本は出資せず、下請け契約という形になった。